輪郭

 春は苦しい。わたしが年中苦しいことは置いておいて、やはり眩しすぎる。花粉や気温差や気圧とかもあるけれど、そんなことよりとにかく眩しい。息が苦しい。

 中高一貫の女子校。あの学校では、毎朝、礼拝を捧げる。今すぐ消えたいと思っていた。あの頃からわたしは少しずつ透明になっていたのだろう。それがもう十年も前のことだとはとても思えない。毎年春になると、礼拝で教頭先生が、校舎までの道程や学校の庭園で咲く花や植物のことを、色んな言葉を用いて表現する。そうして如何に春が目出度く、そして美しい季節なのか。

 礼拝中、身体の内側から針のようなものが出てきて貫かれるだとか、幼稚だが、とにかく思考を巡せざるを得なくて、そういう妄想ばかりをしていた。そんなことは、誰にも言わなかった。わたしはクラスメイトとよく笑った、と思う。あるひとりの友人から、「夏が好きな女の子」だと思われていた。確かにそうだったかもしれない。だとしたら、いつからそうでなくなってしまったのだろう。燦燦とした太陽がじりじりとアスファルトを焦がしていく。生い茂る濃ゆい緑とそれを燃やすような青い光。全てを溶かしてしまいそうに熟れた熱気。そんなものを、わたしは好いていられていたのだろうか。そんな風に、明るく、見えたのだろうか。

 卒業する先輩に宛てた手紙。わたしは何を書いたのかは忘れたけれど、その返事には「あなたは精神的に成熟している」と書かれていた。そんなはずもない。周囲の人間から持たれている、ちぐはぐな自己のイメージ。学校で苛められていた訳でもないけれは、所謂分かり易い虐待を受けていた訳でもない。ある程度、恵まれてもいたとも思う。だから如何してここにいるのかわからない。表面化しづらかったからこそ、こうなっているのかもしれないが、まあ敢えて言語化するならば、家庭環境が良いとされるものではなくて、己の性格や気質もあり、少し解離を起こし、病んでしまった。そんな感じですか。現状は精神病との共存と、社会復帰を目指しています。嘘じゃないよ。

 

 写真に撮ってもらうことで、自分の形が認識出来るようになっていたのだと、やはり思う。今は何もわからない。自分という存在がとても遠い。本来わたしは写ることが大嫌いだ。自分の容姿も好かない。表現することは好き。エロいとかは知らん。皆無でしょ。誰がどう受け取ろうと自由ですが、わたし側の認識は変わりません。どうぞよしなに。

 

 先日、初対面の人に「今まで如何やって生きていたの」と問われて、わたしはただぽかんとするしかなかった。何も答えられなかった。例え誰かに”意外と我が強い”と評されるような人間であっても、流れるままに生きていたら、こうなってしまったんですよ。それが現状を責めている問いならば、答えはひとつで、わたしの弱さや頭の悪さ故です。ただ漠然と問われたなら、わたしはそれに何と答えたら良いのか、未だにわかりません。ただ明日を死なないように生きてきただけです、とかは、刹那的すぎるとは思うのですけれど。

 

いつにも増して駄文。