泣けない

入院中に同室だった女の子から、脈絡もなく突然に通話がかかってくる。彼女は泣いていた。お誘いを受けて友人宅に泊まりに行く。彼女は泣いていた。わたしに好意を抱いていると言う人。彼は通話で何度も泣いていた。他にも色んな人がいる。わたしは自分がかけられたい言葉を発しているのだろうと思う。それは自己愛だ。投影性同一視。相手の中に自分を見出している。わたしはそれなりに他者に対して誠実に向き合うことを心がけている。だから寄り添う。勿論それが検討はずれで、相手を傷付けることもあるだろう。全てを肯定する訳でもない。わたしは聖人でも人格者でもない。

わたしのことを生き甲斐だと仰られる人がいる。同時に性的対象に見られているニュアンスの発言もされたため、嫌悪から冗談めかして「わかります。わたしの生き様を見ることで、或いはわたしの存在によって、多くの方が救われると仰られます。わたしを見つけた○○さんは見る目があるんですよ」と返した。なんちゃって、と付け加えつつ、追撃で「性嫌悪が悪化するので性的対象として見るのはご容赦ください」と釘を刺した。危機回避とは言え、思ってもいない不遜な発言をした自分に反吐が出そうだった。後者は本心ですが。確かにわたしに救われたとか言う人はいるけれど、まあそういう言い回しはするだろう。わたしは誰かを救えるなどとは思っていないし、そもそも救おうだなんて思っていないし、わたしじゃなくても誰かが救う。

 

わたしは(あくまで便宜上まとめるが)そんな彼等の前で涙を流したことはない。同室だった彼女に以前、「さわちゃんは本当に素敵な人だから色んな人が寄っていきたくなるのもわかる」と言われた。どうだろうか。さみしい人達は嗅ぎ分ける。わたしも、あなたも。必要とされたい。忘れられる前に居なくなりたい。捨てられる前に捨てたい。期待する前に裏切りたい。見つけられる前に消えたい。傷付けられる前に。それは裏返しだ。ひとの涙に触れることが重なり続けて、少し何処かが軋んだようだった。他者と関わる中で、しばしばわたしは遠くなる。彼等の涙には触れることが出来るのに、自分の涙には触れられない。問題は自身にある。わかっている。はーい!ここ迄がここ一ヶ月程、セルフネグレクト状態に陥った要因の考察でちた。またセルフネグレクトしてるんかい。さわこちゃんってば一人暮らししてから、すぐキャパオーバーしては、自分の世話を放棄して寝込む。離人感が増すともう危ういんですよ。

しかしながら、やや正気に戻って立て直そうとする時に素面はきつい。誤魔化せない。ここで飲酒したら悪循環だし飲まないが。入院した昨年の八月末からお酒は一滴も飲んでいない。四月頃にブログを更新しようとして書きかけの文章を下書きに保存している形跡があったが、やはり素面だとなかなか自意識が邪魔して難しかったようだ。でも、ブログはゴミ箱。不安からの衝動で殴り書き。

 

もう夏が来る。少しずつでも明るい方へいけますよう。