ファンタジー

「生きてるだけで良い」ってほんとうに思える、実感が欲しい。苦しい。

 

 

追記:薬が切れてるのもありまあ鬱が酷かった。以下鬱々とした文章が残っていたので残しておく。差し伸べられた手を取ることが難しく、欲しいものを求められないのは何故だろう。人に頼ろうと思って、まず思い浮かべるのは、所謂わたしが「友人」と呼ぶ人間ではなく、一線を引いた「知人」なのはどうしてなのだろう。昨年の入院中。重なった期間は短かったが親しくなった女性に、当時、治療の一貫で書いた文章を送った。その方は、「さわちゃんは、太陽の重力から離れてしまった惑星のようで、不安で、寂しくて、圧倒的な孤独の中にいるのだと感じた」と言っていた。続けて「貴女が人と関わることをやめない限り、貴女を徹底的に愛してくれる人が現れ変わると思う」というような内容も綴られていた。わたしは、現実的でない話だと思った。そんなのって、御伽噺や夢物語だ。しかし、かつて若い頃、そのような事を切望していたような気もする。因みにわたしは文中に「わたしは周りに恵まれている」とも書いている。本心であり、無論今もそう思う。だが、その方が仰った前者の言葉を思い出す時、胸が苦しくてたまらなくなるのは何故だろう。あーあ。前はこういう時も、飲酒しておちゃらけてたかね。それが言い訳にもなったのにね。

ノスタルジーを棄てよ、そして

 三年ぶりに兄と対面して、社会人の貴重な土日休みを割いていただいて、二回に渡って、鬱病部屋の片付けと、溢れかえった物の断捨離を手伝って頂いた。それでもまだ部屋に物は多いが。

 わたしはずっと兄が好きだ。わたしが幼い頃、親が「さわこのことが好き?」と訊いた時に、思春期の彼が「嫌い」だと言ったことをまだ引き摺っているくらいには。彼が中学生になるまで、部屋はひとつ。ベッドを並べて寝て、寝る前は二人で物語を作りながら眠りについた。秘密基地を作ったり、木や塀にだって登ったりもした。兄やその友人がテレビゲームをしているのを見ていた。彼等に混ざって遊んだ。兄がただゲームをしているのを見ていることもよくあった。ゲーム機を貸すからポケモンのレベル上げをしといてと言われたら、喜んでやった。お下がりのものは沢山あった。喧嘩もした。幼い頃は仲が良いと評されるような兄妹だった。それは彼が、中学受験の第一志望校に行けず、家庭の毒気にやられ、それから急速に崩れるまでの話だ。

 

 兄は昔からわたしより鈍い人ではあった、と思う。それが鈍くならざるを得なかったのか、気質なのかどうかはわからない。彼は勉強が出来た。わたしは良い子ぶりっこ程度。親の関心の度合いもあるとは思うが、それを置いておいても、兄はわたしより断然頭が良い。幼い頃の口喧嘩では俺が屁理屈で負かしていたというようなことを言われた記憶もあるが、それはまた別の話。

 私立中高一貫校から公立中学に転校し不登校ながら一応卒業して、通信高校に行き、その後二年間また引き籠もり、家で誰に話しかけられても一言も発さなくなり、でも結局予備校などに行かず独学でGMARCHの大学に受かっていた。生家を出て不思議なシェアハウスに引越し、大学を中退して、並行して美術系の専門学校に行って美術やら音楽やらをやってそちらは卒業し、ADHD診断を受けたと思ったら処方された薬は飲まず、職業訓練校に行き、いつの間にか職を探して、正社員のデザイナーになっていた。同じ会社で今はエンジニアらしい。収入は年齢としては少し多いと言う。それでも不安はあるらしい。

 

 

夢とかって、あった?

夢かあ、夢は特になかったかな。

そっか。恋人、出来た?

いや無いね。

あの、未だ...性的な経験は...。

無いっす。

好きな人って出来たりした事ある?

十年、いや八年位前にはいたりしたなあ。

さみしいとか、思う?

仕事してるとそんなこと考えなくなるな。

 

 

 

お金、払ったりした方が良い?

ここで頂戴って言ったらヤバい奴でしょ。

金のためにやってる訳じゃないから。

まあ、一旦終わりかな。また必要だったら来るよ。ハタチ過ぎたら親とか関係ないよ。俺も引き篭ってた時は怖かった。何とかなるから。まあ、社会復帰だね。

うん、そうだね。わたしも何とかなると思って生きてきた。頑張るね。○○くんがお兄ちゃんで良かった。ありがとう。

 

 昔からわたしの自慢で、誇りである兄は、「大人」として生きていた。彼は、少し普通の大人では無いのかもしれない。普通なんてわからないし、そもそも人それぞれだし、普通で在りたい訳でもないから、これは蛇足だけれども。それでも、彼は良い歳をしたわたしの前で「兄」という役割をやってくれた。家族だって所詮他人にすぎないというのに。当然だが、わたしは丸っきり兄のようには生きれない。わたしがどう生きるかはわたし次第だ。ただわたしは、彼の姿勢に、心の底から敬意と謝意を表したい。 

 

 今夜ばかりは、彼が、忘れていること。手放しているかもしれない、その多くのものについて、思いを馳せる。

 

 

 

εἰρωνεία

皆でキラキラインスタグラマーになろう。カフェに行ったら必ず誰かの手や腕を写りこませ匂わせよう。匂わせというのは嗅いだ方の負けである。控えめなアクセサリーを纏って綺麗に整えた爪をした女か、ロレックス等の分かりやすい高級時計かアップルウォッチを着けた男にしようか。当然だがこの世界に性別は二種類しかない。男か女かだ。何もない日に高層階のホテルのレストランに行きシャンパングラスを写し込ませた夜景を撮ろう。銀座に行ったらハイブランド路面店の前で写真を撮ろう。サブカルチャーオタク文化を捨てよう。着飾り、贅を尽くして、それが絶対的な幸福だとフォロワーに信じ込ませよう。タグは何も考えず付けまけくること。サロンに行ったら必ず自撮りをしよう。鏡越しで撮りコーデを見せよう。スマホケースは映え重視。ハイブランドのバッグ。一度載せた服はすぐ売ろう。ホテルのアフタヌーンティーに行き、同行者が実質誰であれ、親しい友人だと強調しよう。大人数で集まりマンションで宅飲みをしよう。やはり高層階に限る。星や月を見上げるより、労働している人間で作られている夜景を見下ろす事こそが至高。シャンパングラスは沢山用意しておけ。味などどうでも良い。安いチューハイは飲むな。新宿や渋谷より、六本木や西麻布に行け。高円寺や下北沢は論外だ。池袋は埼玉県である。海に行くな。山に登るな。野良猫を愛でるな。公園に行くな。都会の喧騒こそが本質だ。定期的に「小さい幸せ(絵文字)」と、恋人らしき人間から貰ったと思われそうな物品を載せよう。キラキラするフィルターをかけて撮れ。紙袋は捨てずに背景に置いて何処の品かアピールしよう。花は撮ったら捨てろ。ケーキは一口食べたら捨てろ。手紙は読まずに捨てろ。男も女も猫を飼って、自分と一緒に撮って撮って撮りまくれ。決して寄付はするな。ペットショップで買った血統書付きの猫を保護猫と言え。美術館や映画館には興味が無くても定期的に行きアピールしろ。気分じゃなくても珈琲はスターバックスのカフェラテを片手に持て。路傍に咲く花に何も感じなくても撮れ。自然を愛でるフリをしろ。本を持ち歩いている事にしろ。自己啓発本に人生を左右されたと言え。小説に感動した事にしろ。興味がなくても流行りの曲を聞いて泣いたと言え。メイクやファッションは流行を少し取り入れた万人ウケのみだ。自分ウケなど以ての外である。あらゆる事に鈍くなれ。感性を殺せ。徹底的にだ。良いな。レコードを捨てろ。楽器を捨てろ。絵具を捨てろ。フィルムカメラを捨てろ。二次元嫁を捨てろ。純文学を読むな。詩集を読むな。紙煙草を吸うな。喫茶店に行くな。ロックを聴くな。古着屋に行くな。勉強をするな。何事にも凝るな。お笑いなどくだらない。就職に意味をなさなくても長いカタカナの資格は取れるだけ取っておけ。肩書きは大事だ。Twitterアカウントを全て消し、二度と見るな。インターネット掲示板は見ていても見ていないフリをしろ。人間関係は利用が出来るものだけ残せ。好き嫌いは感情論である。捨てろ。友達や恋人は利用するものだ。著名人に媚びろ。権力者を煽てろ。人間性など関係ない。子供から学ぶ事など一つもない。言葉は紡ぐな。文章を書くな。世界を知るな。愛を育む事をやめろ。その上でラブアンドピースだけ言え。一人の時間など無駄である。拾い画を乱用しろ。著作権や肖像権なんて無視しろ。リスペクトなど要らない。弱者は踏みにじれ。利用出来るものは利用しろ。アートだから芸術には金を払わなくていい。友人だから技術や時間や知識に金を払わなくていい。当然なのだから感謝など不要。罪の意識は持つな。祈るな。願うな。自分軸などどうでもいい。自我を殺せ。誰にも見せたくない幸福などなく、自分の中にだけ留めて置きたい宝物などない。全てをインターネットに晒しまくれ。作り笑顔を練習し盛れる角度を覚え画像編集技術を磨け。金が無いなら借金をしろ。親に集れ。グレーゾーンで稼げ。脱.税しろ。ただしそれは絶対に隠せ。虚飾しろ。見栄を張る事に集中しろ。大多数が憧れるものだけ研究しろ。この世界では結果が全てだ。過程などどうでも良い。結果とは即ち数字である。数字は金になる。フォロワーから骨の髄まで搾り取れ。彼等は馬鹿だ。若しくは馬鹿でいたいのだ。我々とは違う。見下せ。

そうして共に、紛い物の煌めきの、その儚さを知ろうか。

泣けない

入院中に同室だった女の子から、脈絡もなく突然に通話がかかってくる。彼女は泣いていた。お誘いを受けて友人宅に泊まりに行く。彼女は泣いていた。わたしに好意を抱いていると言う人。彼は通話で何度も泣いていた。他にも色んな人がいる。わたしは自分がかけられたい言葉を発しているのだろうと思う。それは自己愛だ。投影性同一視。相手の中に自分を見出している。わたしはそれなりに他者に対して誠実に向き合うことを心がけている。だから寄り添う。勿論それが検討はずれで、相手を傷付けることもあるだろう。全てを肯定する訳でもない。わたしは聖人でも人格者でもない。

わたしのことを生き甲斐だと仰られる人がいる。同時に性的対象に見られているニュアンスの発言もされたため、嫌悪から冗談めかして「わかります。わたしの生き様を見ることで、或いはわたしの存在によって、多くの方が救われると仰られます。わたしを見つけた○○さんは見る目があるんですよ」と返した。なんちゃって、と付け加えつつ、追撃で「性嫌悪が悪化するので性的対象として見るのはご容赦ください」と釘を刺した。危機回避とは言え、思ってもいない不遜な発言をした自分に反吐が出そうだった。後者は本心ですが。確かにわたしに救われたとか言う人はいるけれど、まあそういう言い回しはするだろう。わたしは誰かを救えるなどとは思っていないし、そもそも救おうだなんて思っていないし、わたしじゃなくても誰かが救う。

 

わたしは(あくまで便宜上まとめるが)そんな彼等の前で涙を流したことはない。同室だった彼女に以前、「さわちゃんは本当に素敵な人だから色んな人が寄っていきたくなるのもわかる」と言われた。どうだろうか。さみしい人達は嗅ぎ分ける。わたしも、あなたも。必要とされたい。忘れられる前に居なくなりたい。捨てられる前に捨てたい。期待する前に裏切りたい。見つけられる前に消えたい。傷付けられる前に。それは裏返しだ。ひとの涙に触れることが重なり続けて、少し何処かが軋んだようだった。他者と関わる中で、しばしばわたしは遠くなる。彼等の涙には触れることが出来るのに、自分の涙には触れられない。問題は自身にある。わかっている。はーい!ここ迄がここ一ヶ月程、セルフネグレクト状態に陥った要因の考察でちた。またセルフネグレクトしてるんかい。さわこちゃんってば一人暮らししてから、すぐキャパオーバーしては、自分の世話を放棄して寝込む。離人感が増すともう危ういんですよ。

しかしながら、やや正気に戻って立て直そうとする時に素面はきつい。誤魔化せない。ここで飲酒したら悪循環だし飲まないが。入院した昨年の八月末からお酒は一滴も飲んでいない。四月頃にブログを更新しようとして書きかけの文章を下書きに保存している形跡があったが、やはり素面だとなかなか自意識が邪魔して難しかったようだ。でも、ブログはゴミ箱。不安からの衝動で殴り書き。

 

もう夏が来る。少しずつでも明るい方へいけますよう。

退院しまちた

先月末に退院して、歳をひとつ重ねました。病棟ロスが激しくて、正直めちゃくちゃ寂しい。もう冗談じゃなく、周囲の方々に恵まれたお陰で、愛されすぎてしまいました。退院後、入院生活を共にした女性の方々とは退院後も良い関係を築いていますが、男性陣はさわちゃんすき〜さみしい〜等とほざいてきて、自分の軸がかなりぶれています。わたしは必要とされること自体にはかなり弱いです。何故なら依存体質だからです。それに、恋愛感情或いはそれに似た何かを被せて、わたしの時間を搾取したり、感情を揺らがすことはやめてほしい。孤独と向き合え。孤独と徹底的に向き合った時に、そこで初めて自分自身に出会えるんじゃないんですか。隙や甘さや弱さがあったわたしに落ち度はあることは重々わかっています。わたしは脆さを抱えて生きています。だからこそ、賢く生きていくことが大事なのだと思います。

寂しい自分も自身で抱き締めて。

入院治療

 眠れないのでブログを書く。

 

 近況。とにかくセルフネグレクトが酷くて、アルコール依存も悪化するし、もう自分一人の力ではどうしようもないと思い、入院治療をすることにした。今までは頑張ろうと思ってやってきたし、少しは頑張ってきたつもりだけれど、限界が来た。自力で一ヶ月禁酒しても、なんの自信にもならなかった。アルコール(と薬物)依存で入院していて、先日東京に帰ってきた友人が、心配をしてくれて東京の病院を調べて電話をかけてくれた。感謝しかない。それがきっかけになり、数ヶ月行けていなかった病院にも行って、区役所にも保健センターにも行って自立支援と手帳の再開(ちょうど更新の時期に手帳を紛失し、警察署に届けられたはいいものの取りに行けなかった)の申請も出来た。入院治療候補の病院への改めて自分で電話をかけて、一つ目の候補のところではセルフネグレクトの状態を聞かれて、もっとすぐに入院できるところが良いと言われてしまった。二つ目の候補の所に電話をかけて初診に行き、ベッドが空き次第ということになったけれど、入院の目処がたつ所まで辿り着けた。初診の先生は印象としてすごく良い先生で、現状処方されている薬の解説をしてもらったら、滅茶苦茶な処方だということもわかった。数年前に医者に薬漬けで殺されますとジョークで書いたが、あながち間違いでないのが恐ろしい。

 わたしはいつも周りに助けられていると思う。友人がいなかったら、今まで生きてこれていないと断言出来る。

 

 コロナのせいで、外泊外出は勿論、面会は親族以外は特例を除き禁止だそうで、両親と縁を切っているわたしとしてはとても寂しい。会ったら精神状態が悪化するのは目に見えているので彼らに会いたい訳では無いです。でも、三ヶ月ですよ。長いよ。病院の住所を教えるので入院したら手紙とか...差し入れはおこがましいからアレだけれどなんか、気持ちを送ってくれないですか?誰か...ねえ皆...してくれないですよね…そんなこと...。皆って誰。スマホ禁止の病院では無いところが救いかもしれない。一つ目の候補は禁止って書いてあったんですよね。

 入院までは、自分をなるべく傷付けずに、少しだけ頑張ったり何もしなかったりしつつやっていきたい。またくたばってしまうタイミングで入院出来たらすごい良いのですが。

 

 あとは、ブログに書いていない怖かったこと。警察を装った非通知の電話が来た。寝起きで薬を飲んでいなかったわたしは二回目に出てしまった。目の前で洗濯物を盗られた件での電話だと思った。今ご自宅にはいらっしゃいますか?その後変わりはないですか?また話しを伺いに行きますね等々。恋人の家に泊まっていたので、幸いわたしは自宅にはいなかったのだが、回らない頭ですぐ気付いた。名乗らなかったし、非通知。わたしは違和感を感じて、住まいの地区のの警察署に電話をかけた。調べていただいた所、お巡りさんでも刑事さんでも無くとにかく、警察の方はそのような電話はしていないという解答だった。そもそも普通、警察は非通知でかけないのだ。空き巣を疑ったが、何も盗まれてはいなかったし、鍵は閉めたままだった。可能性としては、警察の方が個人的に電話をしたということも、彼らはただの人間なので十分にありえるが、意図は不明だし、深層は闇のまま。その後警察の方が訪れることも無かった。本当にあった怖い話。もうわたしは嫌です。文章も推敲していないので滅茶苦茶。

生きる理由がない

 希望や救済があっても、楽しいことがあっても、好きな人や心配してくれる友人が沢山いても、それが生きる理由にはならない。死に至る決定的な理由がないから、縋り付きたいものがあるから、貯金が尽きていないから、そんな理由で生きているだけ。

 何年も目を背けていた見捨てられ不安を、わたしが選んでわたしが捨ててきたと思っていたことが、実際はそうではなかったと自覚してから、わたしはどんどん鬱から抜け出せられなくなり、死んだように生きている。この死にたさは根深い。ここから本当に立て直すことがわたしにはできるのだろうか。ブログはわたしの痰壷なので素直に書くが、生きていくことがとても辛い。苦しい。そもそも理由など必要ないのかもしれないけれど、わたしには、これから先、生きていく理由がいる。今までの行動を振り返ると、わたしは誰かに必要とされたいのだと思う。でもきっとそれは誰でも良いわけではないし、わたしの問題はわたしの問題であり他者に求めるべきことではないようにも思う。正しくなくても良いのだろうけれど。