ノスタルジーを棄てよ、そして

 三年ぶりに兄と対面して、社会人の貴重な土日休みを割いていただいて、二回に渡って、鬱病部屋の片付けと、溢れかえった物の断捨離を手伝って頂いた。それでもまだ部屋に物は多いが。

 わたしはずっと兄が好きだ。わたしが幼い頃、親が「さわこのことが好き?」と訊いた時に、思春期の彼が「嫌い」だと言ったことをまだ引き摺っているくらいには。彼が中学生になるまで、部屋はひとつ。ベッドを並べて寝て、寝る前は二人で物語を作りながら眠りについた。秘密基地を作ったり、木や塀にだって登ったりもした。兄やその友人がテレビゲームをしているのを見ていた。彼等に混ざって遊んだ。兄がただゲームをしているのを見ていることもよくあった。ゲーム機を貸すからポケモンのレベル上げをしといてと言われたら、喜んでやった。お下がりのものは沢山あった。喧嘩もした。幼い頃は仲が良いと評されるような兄妹だった。それは彼が、中学受験の第一志望校に行けず、家庭の毒気にやられ、それから急速に崩れるまでの話だ。

 

 兄は昔からわたしより鈍い人ではあった、と思う。それが鈍くならざるを得なかったのか、気質なのかどうかはわからない。彼は勉強が出来た。わたしは良い子ぶりっこ程度。親の関心の度合いもあるとは思うが、それを置いておいても、兄はわたしより断然頭が良い。幼い頃の口喧嘩では俺が屁理屈で負かしていたというようなことを言われた記憶もあるが、それはまた別の話。

 私立中高一貫校から公立中学に転校し不登校ながら一応卒業して、通信高校に行き、その後二年間また引き籠もり、家で誰に話しかけられても一言も発さなくなり、でも結局予備校などに行かず独学でGMARCHの大学に受かっていた。生家を出て不思議なシェアハウスに引越し、大学を中退して、並行して美術系の専門学校に行って美術やら音楽やらをやってそちらは卒業し、ADHD診断を受けたと思ったら処方された薬は飲まず、職業訓練校に行き、いつの間にか職を探して、正社員のデザイナーになっていた。同じ会社で今はエンジニアらしい。収入は年齢としては少し多いと言う。それでも不安はあるらしい。

 

 

夢とかって、あった?

夢かあ、夢は特になかったかな。

そっか。恋人、出来た?

いや無いね。

あの、未だ...性的な経験は...。

無いっす。

好きな人って出来たりした事ある?

十年、いや八年位前にはいたりしたなあ。

さみしいとか、思う?

仕事してるとそんなこと考えなくなるな。

 

 

 

お金、払ったりした方が良い?

ここで頂戴って言ったらヤバい奴でしょ。

金のためにやってる訳じゃないから。

まあ、一旦終わりかな。また必要だったら来るよ。ハタチ過ぎたら親とか関係ないよ。俺も引き篭ってた時は怖かった。何とかなるから。まあ、社会復帰だね。

うん、そうだね。わたしも何とかなると思って生きてきた。頑張るね。○○くんがお兄ちゃんで良かった。ありがとう。

 

 昔からわたしの自慢で、誇りである兄は、「大人」として生きていた。彼は、少し普通の大人では無いのかもしれない。普通なんてわからないし、そもそも人それぞれだし、普通で在りたい訳でもないから、これは蛇足だけれども。それでも、彼は良い歳をしたわたしの前で「兄」という役割をやってくれた。家族だって所詮他人にすぎないというのに。当然だが、わたしは丸っきり兄のようには生きれない。わたしがどう生きるかはわたし次第だ。ただわたしは、彼の姿勢に、心の底から敬意と謝意を表したい。 

 

 今夜ばかりは、彼が、忘れていること。手放しているかもしれない、その多くのものについて、思いを馳せる。