鏡の中で生きるのをやめること

愛情と憎悪の区別がつかない人がいる。わたしは両親を見ていて、それが普通であると思いたく、彼らを肯定したい自分がいるし、自分も恐らくそのような側面がある。だから、似たような人を引き寄せるし、その感情を誘発させてさえいるかもしれない。今まで関係を完全に断ち切れない隙や甘え、弱さがあったのも事実ではある。これは特定の人物に留まらない。本当に疲れた。まだやることはあるけれど。

 

以下、記憶が飛んでいるが下書きに残っていたメモ

2021.08.10

愛情飢餓に向き合う

愛を知ることは努力

愛情の種類を理解し分析する

自分を許して愛せるようになる

憎しみや怒りを原動力にしないようにする

諦めることは楽である。わたしは「他者に期待しないこと」を心掛けて、今迄の人生において、かなり長いこと生きてきた。「諦念をモットーに生きています」などと、冗談交じりに公言していたし、悩んでいる友人か誰かに「他人に期待しなければいい」とさえアドバイスとして言った憶えさえある。親からの愛を適切に与えられなかった人は、その後の人間関係においてその穴埋めを求めがちである。わたしはそのことを知っていたから、人と距離を詰めることに怯えている。親密になることが恐ろしい。

愛を知ろうとするのは努力。気持ちが良いことや、心地が良いことは、罪悪ではないらしい。他者と完全にわかりあうことは出来ないが、わかろうとすることは出来る。最終的に自分を救えるのは自分でしかないが、それは孤独とは別のこと。

気が遠くなるほど道のりは長い。でも、もしかしたら、それが今日を生きていく意味になるかもしれないとも思う。

 

 

追記:悲しいけれどわかりあおうとする必要がない人間も勿論いるし、人それぞれのタイミングとペースがある。