反芻しても意味がない

もう、六年経つ。取り敢えず、会ってみたら何か変わったりするのだろうか、と思うことがある。わたしは彼らに何も言えないまま、縁を切った。両親がわたしにかけたお金はとても返せる額ではないけれど(子供を一人育てるのには2000〜3000万かかるだろう)、だから少しだけれど、銀行の通帳でも渡せば、許された気持ちになるのだろうか。あの人達はそういう行動を期待していた。現に休学中はバイト代をほぼ全額渡していた。当時のことはあまり覚えていない。親に、お金をかけて、それ以外も、育てていただいただけ有り難いと、思わなくてはいけないとも思う。

どうして、兄は許されて、わたしは許されないのだろう。

そうして一文無しになって......生活保護でも受けたら、安心したりするのだろうか。ただ、やはり受けるに値しないと思うし、受けたくないという意地もある。福祉の方に提案されたことはある。貯金が尽きたら死ぬか、もしくはその選択をするかなんて、投げやりな時は考える。

 

こんなのは突拍子もない発想だ。"家族"に対する未練。羨望。思い込み。固執してもしょうがない。反芻しても意味がない。手っ取り早い方法はない。全てを忘れることは出来ない。そしてわたしは恐らく、生活保護は受けない選択をとる。

薄れていく。癒えていく。そうして、ひとりで生きていく。