生きる理由がない

 希望や救済があっても、楽しいことがあっても、好きな人や心配してくれる友人が沢山いても、それが生きる理由にはならない。死に至る決定的な理由がないから、縋り付きたいものがあるから、貯金が尽きていないから、そんな理由で生きているだけ。

 何年も目を背けていた見捨てられ不安を、わたしが選んでわたしが捨ててきたと思っていたことが、実際はそうではなかったと自覚してから、わたしはどんどん鬱から抜け出せられなくなり、死んだように生きている。この死にたさは根深い。ここから本当に立て直すことがわたしにはできるのだろうか。ブログはわたしの痰壷なので素直に書くが、生きていくことがとても辛い。苦しい。そもそも理由など必要ないのかもしれないけれど、わたしには、これから先、生きていく理由がいる。今までの行動を振り返ると、わたしは誰かに必要とされたいのだと思う。でもきっとそれは誰でも良いわけではないし、わたしの問題はわたしの問題であり他者に求めるべきことではないようにも思う。正しくなくても良いのだろうけれど。