Love your enemies.

 

例えば、付き合っていた恋人に「別れるなら飛び降りる」と言われ、わたしが警察に通報したとする。その時に実質、保護されるのはわたしではなく向こうだ。警察署に連れていかれて調書をとるのが相手だけでも、彼は血縁者が迎えに来てくれて、彼自身がひとりで抱え込んだ状況のあれこれを家族という他人に片付けてもらえる。不条理だと思うが、恵まれているということは、何も悪いことではない。それが一概に恵まれていると言えるのかも、わたし視点からだけでは解りようも無い。

 

ただ、わたしはひとり、現実に向き合わなければならない。そうして、色々なことを忘れた。処方薬やアルコールの影響で、海馬が萎縮しているのかもしれない。思い出せないことが幾つもある。上記の例え話で言うと、実際に通報したことは覚えていても、その後の調書がどうだとか、警察から一ヶ月後に電話で確認をされていたなどの対応の仔細や、自分の口から述べたはずの感情などを、丸っきり覚えていなかった。

記憶がないのだから、治療をしなかった傷がある。痛みだけは、ほんとうはずっと残っている。年月を経て、突然にそれは襲ってくる。わたしは踏み出していた足を容易く掬われる。

 

そうせざるを得なかったのだろうが、それが原因で起こるトラブルなどを「あなた自身の行動のツケが回ってきたのだ」と言われてしまえば、それまでのことである。実家にいた頃も、そこを出てから今に至るまで、全てに関して同様である。どんな環境や精神状態であれ、全ての選択はわたし自身がしてきたのだ。それらぜんぶを抱えて、否、抱えきれなくても生きていく。生きていかなければならない。周りへの感謝を忘れずに。痛くとも、自分の足で立てるように。