ママが世界で一番可哀想で可愛いお姫様だよ

 実家にいた頃。家庭内不和を「わたしが全部悪い」と片付けることは、苦しかったが、楽だったのだろう。それ以上考えずにすむから。

 母が言った。

「さわこは結局そう。□□さんが浮気をした時もそうだった。最後はさわこは□□さんの味方をする。」

 わたしはとても驚いた記憶がある。父の味方をしていると母に思われていることに。わたしは無意識に父の味方をしているのだろうか、と純粋に疑問に思った。また、わたしは幼い頃からずっと、彼女の夫に対する愚痴を聞いて、時には相談に乗り、共感し、慰め、フォローしてきた。それでも、彼女にそう思われて責められていることが、おそらく悲しかった。今になって考えれば単純である。幾つの時のことかは忘れたが、つまり、わたしは子供だった。両親ふたりから愛されたかった。どちらの味方でも敵でもない。彼女にはそれがわからなかった。それだけのこと。父が浮気をした時のことは、わたしは幼かったのでほとんど覚えていない。母の叫び声や泣き声だとか、それぐらいだ。よくある話だろう。

 両親ふたりから愛されたいと願えば、母にとってわたしは敵になる。これは自己愛性人格障害で自他共に認める共依存関係を築いている父にも言えることだった。彼らの世界は二人で完結しているということ。

 母のことを他人に話す時に、少女みたいな人だった、とわたしは言う。内気な世間知らずで、趣味はガーデニングにお菓子作り、お料理。物語に出てくる可憐な少女のようだ。お酒は強いけれど特別な時しか飲まないし、煙草を吸う女性なんてありえない。結婚相談所を介して初めて付き合った男性と、初めてキスをして、結婚した。そんな旦那様と毎週末はデートをする。道徳的であることを重んじていて、ボランティア精神もあり、こころの電話相談のスタッフをしていた。彼女に酷いことを言う夫のことも、見捨てたりなんかしない。なんて愛情深い人だろうか。実の息子は引き籠もって病んでいるけれど、夢見る少女は現実など直視しない。少女はまだ情緒が安定していないため、よくヒステリーを起こす。甲高い声で怒鳴り、あたしはこんなに頑張っているのにどうして、と泣き喚く。わたしが幼かった頃は、よく夜中に泣きながら実の母――つまりわたしにとっての祖母である――に電話をしていたが、やがて憎しみの対象となり縁切り状態になった。

 母は娘のわたしにも依存していた。求められることで役割を見出していたわたしもまた母に依存していた。だから断ち切った。もっと上手なやり方があったと思うが、当時のわたしは既に病んでいたし、もうじゅうぶんに狂っていた。

 これまで生きてきて、彼女以上に、感情を剥き出しにした強烈な表情をする人間に出会ったことがない。睨み付ける目は、瞬きを忘れたのか、白目がとても青くなっていて、こめかみには血管が浮いていた。憎悪。あれはいつのことで、誰に対して怒っていたのだろう。わたしは何故か、彼女の痩せた横顔だけをよく覚えている。

 

 

 時々、わたしがあの家を捨てて正解だったのかどうか、思い出せなくなった時に、実家にいた頃のことを思い出す。フラッシュバックとはまた違って、自ら記憶を掘り起こして、やっぱり間違えてはいなかったと確認する。精神衛生上良いかと言うと、そういう訳では無いので、飽くまでも作業だ。そう自分に言い訳をしている。

 

 いつかこの作業が、必要でなくなる時がくればいいと思う。自分を見失うことがなくなればいいと思う。過去を反芻する余裕がないくらいに、満たされていればいいと思う。口先だけでなく、そう本気で思える日が、くればいいと、思う。

 今のところ、想像しがたいのが、残念ながら現実である。