拭えない死の匂い

べったりと足の裏に張り付いている死から、もっと上手く逃げれるようになりたい。帰れる場所があるって、それだけでいいよね。ここは一体何処なんだろうか。

 

追記:これだけたくさんの人間がいて、身内の死を経験していない人こそ少ないと思うが、わたしに熱烈に好意を持っている男性二人の共通点がそこにあることに、少しだけ不思議に思った。難病で前妻を亡くされた人。殺人を犯しその後マンションから投身自殺した弟がいる人。重ねてみている側面があるのだろうか。彼等は私に好意を寄せるより、もっと良い生き方があるだろうに、とは思う。

反芻しても意味がない

もう、六年経つ。取り敢えず、会ってみたら何か変わったりするのだろうか、と思うことがある。わたしは彼らに何も言えないまま、縁を切った。両親がわたしにかけたお金はとても返せる額ではないけれど(子供を一人育てるのには2000〜3000万かかるだろう)、だから少しだけれど、銀行の通帳でも渡せば、許された気持ちになるのだろうか。あの人達はそういう行動を期待していた。現に休学中はバイト代をほぼ全額渡していた。当時のことはあまり覚えていない。親に、お金をかけて、それ以外も、育てていただいただけ有り難いと、思わなくてはいけないとも思う。

どうして、兄は許されて、わたしは許されないのだろう。

そうして一文無しになって......生活保護でも受けたら、安心したりするのだろうか。ただ、やはり受けるに値しないと思うし、受けたくないという意地もある。福祉の方に提案されたことはある。貯金が尽きたら死ぬか、もしくはその選択をするかなんて、投げやりな時は考える。

 

こんなのは突拍子もない発想だ。"家族"に対する未練。羨望。思い込み。固執してもしょうがない。反芻しても意味がない。手っ取り早い方法はない。全てを忘れることは出来ない。そしてわたしは恐らく、生活保護は受けない選択をとる。

薄れていく。癒えていく。そうして、ひとりで生きていく。

結婚します

昨日は新宿まで外出して用事も済ませたし、お酒も飲まなかった。自炊もしている。今日はポイント還元が高い日なのでネットで必要なものを購入したりした。筋トレも軽くした。あとはゆるくゆるく過ごしている。エンタメとか笑いとかって、生きることに疲れ切っている時にちょうど良くて、とても救われる。板タブのペンは見つからない。

 

歴が長い友人と通話をしたら、パニック状態がだいぶ落ち着いた。以前ブログに書いたが、毎度長電話をしては、喧嘩のようになる彼だ。一ヶ月前に一年振りくらいに通話をした。なんだか、改めて思ったけれど、彼は話が上手い。でもやっぱり話がなげえ時がままある(※本人に言っています)。通話をしていて、当初みたく喧嘩みたいにはならなくなっていて、時の流れを感じた。長い付き合いの友人って、それだけでありがたい。彼は六歳上だが、同年代や歳下とは違う、色んな視点をくれるのもありがたい。彼がそう至るまで、色んな経験や、学びを得てきたのだろうと思う。年齢は記号、とは一概には言えないなと思った。そういえば、「何歳までに結婚したいとかあるの〜?その時フリーだったら結婚してくれ!え、七年後か〜きちいな〜!」とかわたし言ったんですけど、なんか違う方向に話逸らされて終わったな。笑える。大事な友人です。

 

眠剤飲んだので寝ます。中身のない日記。

 

 

絶好調

わたしは一ヶ月入浴のみならず洗顔すら出来ず、ベッドから動けなかった女だ。そんな自身に期待をしてはいけない。

アルコール依存症の診断を受けている友人の女の子と、減酒の約束してみたけれど、現在複雑性PTSDの症状が露骨に出ており、飲酒に逃げれない現状がかなり辛い。でも、アルコールをガソリンにして動く酩酊人格のわたしはあくまでそれでしかないのだ。みっともなくて、大人になりきれず、注意欠陥が著しくて、情緒が不安定。気を付けていないと、他者に過剰に救いを求めようとする側面もある。それが現状のわたしだ。嗜癖者はそれを断つ時に、それこそ人生が終わるような、行き詰まりと直面しなければならない。わたしは生きるために飲酒をし、鬱を誤魔化してきたのだから。老人から杖を奪うようなものだ。ただ、わたしはまだ老人ではないらしく、死にたいけれど、変わりたいから。でも、今の自分には出来ると期待しない。少しずつで良い。減酒は約束しちゃったからな。約束していなかったらもっとお酒に頼っていたかもしれないから、長期的にみたら良いのだろう。嗜癖者は生きる上で困難に直面した時にその場に適応するためにそれらに手を出すのだ。

 

あと、あの、わたしのタブレットのペンは何処ですか?大掃除かというくらい三時間探しました。置く場所決めていたのにどうして...?悲しいです。絵を描くのが気分転換になっていたのに。明日また探します。ここ数日、水が入ったガラスのケトルを割って壊す、コップの水をぶちまける、親指に熱湯をかける、サブに使っていたスマホを落とし修理、親が登場する悪夢、などと絶対絶望絶好調です。悲しいです。何も無くても悲しい。福祉事務所に頑張って電話をかけたけれど通話中で繋がらない。悲しみに暮れます。セロトニンが足りないんでしょうか。明日くらいにメンタルクリニックに行きたいです。

 

人のお金でお寿司が食べたい

下書き消化。

 

昨日はコロナワクチン一回目をやっと打った。打つの先延ばしになっていたんですよ。鬱だから。鬱だけに打つのが(つまらないので以下略)。左腕が怠い。体調不良には慣れている。そういえば、よくわからず流したけれど「副反応が酷かったらドアノブに食べ物かけとく位するよ」って、友人が言ってくれたの、あれ嬉しかったな。電車に乗って来なければいけなくてまあまあ距離あるし、第一にそんなこと言ってくれるのは予想外だった。まあ優しい人だから、自惚れないよう気をつけよう。わたしはき、君の事が、結構、す、す、寿司かもしれんので。困るり。人としてお寿司だよ。人との縁とかって結局、回転寿司みたいなものじゃないですか。はい、中身スカスカのそれっぽいこと言うモードが始まりました。取り逃したものはどんどん新鮮さが失われていく。選ばれないまま流れていくそれに感情移入して、どうか悲しくなったりしないでください。あなた方は選ぶことが出来る。空も飛べるんですよ。今って大体タッチパネルで注文するような気がするしお手軽です。あ〜昔みたいに人の金でカウンターの回らない寿司食いてえ。嘘だけど。

おしゅししゅき。

 

一昨日は某人の現在の情報を聞いてしまって怖くなって少しパニックになったが、暫くしたら落ち着けた。でもめっちゃ寝た。睡眠大事。脳が処理落ちしてるのだろう。

わたしは悪い人です

今日は、眠くて眠くてしょうがない。鍋を作った。トイレ掃除をした。昨晩、深夜にふらついて、熱湯を手にかけた。今年二回目だが、同じ箇所に火傷をした為、ずっと保冷剤を手に当てていた。前よりは酷くない。

知人(ストーカー予備軍)にちらっとアパートの前で会った。たくさん感謝もしているし嫌いじゃない。しかし、わたしのボロボロの顔を見ただけで喜ぶのは、やはり頭がおかしいと思ってしまう。誰であっても人と会うのは気を遣うので疲れる。元気に振る舞うと喜ぶ人は特に。恐らくわたしは返報性が高い性質なので、応えられない種類の好意を向けられるのは耐え難くもある。わたしは良い人間ではないし、無条件に優しくもない。客観的に見たら搾取かもしれない。貰えるものは貰っておこうという卑しい余裕のなさから生まれた結末。「自分がやりたいからやっている」と発した言葉を信じる馬鹿なわたし、をきっとあの人は求めているのでしょう、という言い訳。もう三年以上経つようだが、大丈夫かな。いつか飽きると思っていたんですが。でも実際やりたいからやっているんだよね。飽きたら離れていいって、頭おかしいからやめとけって、何度も言ったよ。そうよね。

ここ数年わたしも時をかけていますので、しょうがないって思わせてください。恋愛感情を持てなくて、何も返せなくて、ごめんなさい。貴方のその好意をおぞましく感じてしまう側面が、まあまあな頻度であることも、申し訳ないとは思っているんですよ。わたしは悪い人です。

鬱病モーニングルーティーンなど

 

 鬱だと起床してから動き出すまで四時間くらいかかる(何なら一日中動けない日もざらにあるんですが)。ケトルでお湯を沸かすか、面倒な時は水道水で、漢方を飲む。

 その後に何らかの食べ物を口に入れたら、ビタミン剤とジェイゾロフト、リーゼ、レキソタンを服用。たまにコンサータ。その後は顔を洗うかシャワーを浴びる。ここまで辿り着く道のりが長い。

 ストラテラは、副作用が地味にストレスになっている事に気付き辞めた。口渇が酷いせいで常に水筒を持ち歩かないと外に出れないレベルだったり、お腹を大体壊していることだけが人生において自慢なわたし(※ただの過敏性腸症候群)が初めて便秘気味になり、胃腸薬や下剤を処方して貰ったため、飲む錠剤が大量なのも単純にストレスだった。万年ダイエッターという名の摂食障害なので、だからこそというか下剤には抵抗があり、酸化マグネシウムに変えてもらったが、他にも整腸剤やらが何種類も。

 薬のピークは、ストラテラ40mgを朝晩、コンサータ27mgだった。割と長い期間。それもわたしは飲み忘れるので律儀に全て一週間分くらい仕分けして毎日飲んでいた。今思うと明らかに量が多すぎると思う。いくら注意欠陥や記憶力の低下などが著しくても、ADHDが根本的な問題ではないのだから。何年か前に「医者に薬漬けにされて殺されます」とか冗談で書いたが、割とわたしは薬漬けだ。

 レベルの低い自炊はしているが、部屋の掃除や片付けの気力が起きない。困る。昼間に友人が大変な状況になっているため、その吐き出しをLINEで聞いた。わたしはバウンダリーが曖昧なので感情が引っ張られすぎてしまうが、それを避けると神経が過敏になっている彼女に無神経だと言われる。事実だとも思うが、やはりキャパを超えて甘やかしてしまう。発さないようにした言葉はゴミ箱行きで噤んだ口は報われない。彼女は今もわたしに頼っている訳ではないと思っているのだろう。恐らくわたしは悲しいのだと思う。彼女にとって、人に頼ることは、例えば「自分の力で出来ないことがある」と認めることになり、色々な葛藤が邪魔をして、自覚しないようにしているのだろうか。推測に過ぎない。もっと頼れる人が増えたら良いと思う。事実、わたしは他者に頼ることを少し覚えて、救われたから。感謝。

 Macでペンタブが反応しないのでドライブをアンインストールして再インストールしてと何やかんやして、メディバンをインストールしてMacでお絵描き出来る状態になった。下手だけれど、気分転換に絵が描ける。落書きを送ったらTwitterのアイコンにしてくれている友人が居るので、その絵をちゃんと整えるかと思って、デジタルだけど色でも塗るかと思ったが少しやって飽きた(たぶん明日やる気があれば続きを描く)。

 スーパーまで徒歩で行った。視線恐怖で変な汗をかくのが嫌だ。まだお酒は辞められない。シャワーを浴びれたので、これから眠剤を服用して歯を磨いて寝る準備をする。ちなみに寝付くまでにも何時間かかかる。

それでは、おやすみなさい。