子供部屋

下書き投下。

 

わたしの周りには、わたしが殺した、わたしの死体がごろごろ転がっている。いや、死んではいないのだろう。これは例えだが、誰にも必要とされず何処にも居場所がないと感じながら生きている人間は、自分のことを「死んでいるのと変わらない」と表現するのではないだろうか。そういう類の意味だ。

 

死体のひとつは、いつまでも、今はもう存在しない部屋にいる。如何にもといった感じの、大きい学習机。ベッド。窓が二箇所。遮光カーテン。引き戸の押し入れ。ドアはひとつ。押し入れには使わなくなった赤いランドセルがある。中には卒業アルバムや、手紙、交換日記、ノートに書いた下手くそな漫画、成績表なんかを入れたままにしている。捨てられなかったぬいぐるみたち。いつも一緒に寝ていた、ボロボロのシナモンロールのぬいぐるみ。日能研の青いリュック。卒業アルバムと写真。下の階のリビングから母親の大仰な泣き声が聞こえる。階段を大袈裟に足音をたてて上がってくる父親。部屋の中で息を潜めているわたしは確かにわたしだった。ドアを開けて、一歩でも、彼らの支配する空間にいる時のわたしは、また違うわたしだった。

 

するりと、わたしの中のわたしが死ぬ。

そうやって生きてきた。周りにいる夥しい数の屍と、鏡に映る、醜い空っぽの器。ゾッとする。次はどうやってこの身体を殺そうか。無意識に死ぬ想像ばかりしているわたしがいる。誰でもいいから助けてくれと叫びたがっているのは、あの部屋にいた幼いわたしだろう。あの部屋にずっと居続け、わたしを見つめ続ける彼女の黒い瞳は何を求めているのだろう。愛されたいのだろうか。何かに気付いて欲しいのだろうか。鏡に映る自分がこんなにもおぞましく思えるのは、一瞬でも満たされたいと、間違えてしまったからだろうか。わたしは狂ってしまったのだろうか。だがそもそも、わたしはわたしを綺麗だと思ったなど一度もなかったし、人間は皆狂っている。

 

ここは何処でわたしは誰なのだろう。

押し入れの赤いランドセルはもうない。

テレピン油のにおい。山積みのキャンバス 。大量のスケッチブック。イーゼル。ベッドの横にある、天井まである本棚。春になると桜の木が見える窓。ダサい柄の遮光カーテン。薄い壁を隔てて深夜に兄がギターを弾く音がする。

本来空っぽにしてきたはずのあの部屋に、彼女は居る。

あの部屋にはもう帰れないのに。