やさしいひとになりたかった

どうやって折り合いをつけたらいいのだろうかと考えて、結局「無かったことにする」とするのが私の今迄の人生において最善だった。怒りや憎しみはくだらなくて、悲しくて虚しくて、へとへとに疲れるから、発想を転換させる。これは色々なことに使える。許すとか許されるとか、難しくてよくわからない。そう思う時、たぶんそもそも受け止められていないのだと思う。傷跡にすらならないささやかな痛みなど、忘れるに限る。例えば、君のことや、忘れないと言った出来事も、忘れたくないと願ったことも、誰かを傷付けたことや誰かに与えて貰ったことも、全て忘れてしまっていたらごめん。どうしようもない。

 

きれいなものが嫌いだ。優しくてきれいな文章を読んだ時、いつの間にか涙が流れていたりする。うつくしいものが好きだ。だから自分のことが嫌いだ。どろどろに濁った海水に手を入れて、たまたま掴んだシーガラスは、どんな高級な宝石よりもうつくしかった。その海は汚くて綺麗だった。この世界が、だいきらいでだいすきだなと思った。

 

 

 

追記:なんとなく過去の記事を非公開にした。ふざけ散らかしてる露悪的な記事をひとつだけ残してみた。特に意図はない。インターネットって気軽に自殺に似た何かが出来ていいのかもしれない。ブログ自体を消したって良いし、SNSを全て消してもべつに構わない。何だっていい。単純に私が生き続けていいるということが全てだ。日々を積み重ねる。